レンの機嫌が戻ってから早いもので数日。恭也はいつも通りの日々を過ごしていた。

朝起きてレンと共に朝食を取り、部屋に戻れば勉強三昧。とはいえ、完全な缶詰め状態かと言われればそうでもない。

この前の一件――レンの八つ当たり模擬戦以降、実戦形式のアーツ訓練を行う事がそこそこ増えたのだ。

恭也は知識で教えるよりも実戦形式で教えた方が覚えは良い様な気がする。それが本人の口から語られた理由。

もちろん缶詰め状態で身体を鈍らせるわけにもいかないというのも含まれてはいるが、理由の大部分はそういったモノ。

ただまあ、お勉強の中にそういった項目が増えたという事以外は別段何の変わり映えも無く、いつも通りというのには変わりなかった。

 

 

 

――そしてその日の朝も、いつもと変わりなくレンは朝五時という早い時間帯に彼の部屋を訪れた。

 

 

 

レンは恭也の寝ているだろう時間帯(つまりは普通の人は寝ているだろう時間)を見計らい、部屋に来る傾向がある。

その理由を本人に聞けば、何でも寝ている恭也を無理矢理叩き起こすというのをやってみたいからという訳の分からないモノ。

恭也は近くに誰かしらの気配があると自然と起きるのが癖。それはよほど気配を消す事に長けた人間でないと出てしまう。

レンとて気配消しはそれなりに出来るつもりだが、やはり完全に気配を消し切れていないのか部屋に入った時点で彼の目は覚める。

結果、未だレンの目論見は達成されていないわけなのだが、それでも懲りず今日も今日とてそんな時間に訪れたわけである。

 

「…………」

 

出来るだけ気配を消してそろりとした足並みにて若干盛り上がっているベッドへとゆっくり近づいていく。

現状、レンから見た限り起きてはいない。もし起きていたなら、レンが部屋に入った段階で起きているはずだろう。

けれどベッドから顔を出す気配が無い辺り、気付かれていない。そう判断したレンは浮かびそうになる笑みを堪えながら更に歩み寄る。

そしてその足がベッドの前へと辿り着き、堪えても浮かぶ笑みを顔に張り付かせながら、その手を掛け布団へと伸ばそうとするが。

 

 

 

――その直後、突然後ろからレンの肩が何者かに掴まれた。

 

 

 

声にならない悲鳴と共に身体をビクンッと震わせ、咄嗟とばかりに身体ごと後ろの方へと振り向いた。

するとその目に飛び込んできたのは、今の今までベッドで寝ているものだと思っていた彼――恭也の姿であった。

 

「おはよう、レン。今日もまた一段と早い訪問だな」

 

「え? あ、うん、おはよう、キョウ――って、そうじゃなくて! え、何で? 何でキョウヤがそこにいるの!?」

 

「一応俺の部屋として割り当てられた部屋なのだから、俺が居ても可笑しな事ではないと思うが?」

 

「そういう意味じゃないわよ!! レンが聞いてるのは、何でベッドで寝てるはずのキョウヤがそんな所に立ってるのかって事!!」

 

恭也としてはちょっとからかうつもりでの返答だったのだろうが、どうにもレンはご機嫌斜めなご様子。

尤も、やっと成功したかと思われた際の喜びを壊され、挙句にからかうような返答を口にされればご機嫌も悪くなるだろう。

もちろん恭也としても機嫌が悪くなっている理由については十分理解している故、それ以上からかう発言をする事もなく。

とりあえずは(自分のせいで)僅かばかり興奮気味となっているレンを落ち着かせつつ、彼女が疑問に思っている事についての説明を口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Trajectory Draw Sword

 

第五話 勉強の息抜き、研究所での唯一の娯楽

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

説明を聞けば何の事はない。極めて単純且つ、悪戯心がヒシヒシと伝わってくるような内容だった。

曰く、そもそもにして恭也が起きたのはレンが部屋に来る約十分前。時間にして四時五十分を回った辺りとの事。

そこで彼がふと思い付いたのが、いつも寝ている自分を叩き起こす事を目論むレンをからかおうというモノ。

そして思い立ったが矢先、起こした行動は二つ。一つ目は自分がまだ寝ているように見せかけるためのダミーを置く事。

ダミーを置くと言っても方法は極めて簡単。ただ部屋にある大概のモノを使用しつつ調整して布団を盛り上がらせるだけだ。

次いで二つ目となるのは、レンが来る前にどこか上手い場所に隠れる事。これは部屋の机の下が一番適当である故にすぐ決定。

尚且つ気配を消して準備は完了。その後、今に至る……というわけなのだが、その説明をした直後のレンはやはり若干不機嫌となった。

それは悪戯したりからかったりするのは好きでも、逆は好きではないからこそ。だが、それでも説明を聞いた故か完全に機嫌を損ねる事はない。

というのも、確かに悪戯をされたという事は不服以外の何物でもないが、その悪戯が達成されるまで気付かなかったのは彼女の落ち度だから。

注意して見れば布団の盛り上がりの不自然さにも、部屋の様子が若干変わっている事にも容易に気付く事が出来たはずなのだ。

そこに気付かぬほど舞い上がっていたのはレン自身。それ故、彼も悪いが自分も悪いと分かるために若干文句を言った後、溜息をつく程度で留めた。

 

「はぁ ……まあ、いいわ。今日も起こせなかった上に策に嵌められたなんて不服以外の何でもないし、そもそも普通に考えれば上司にそ んな事した時点で処罰モノなんだけど。でもレンは凄く心が広いから、キョウヤが顔に似合わず悪戯好きだって新事実が分かっただけで良しとしておくわ」

 

「ふむ、寛大な処置に感謝だな。それで、今日はどうするんだ? 昨日はアーツの訓練だったから、今日は普通に勉強か?」

 

「そうね――と言いたい所だけど、今日は少し予定を変えて別の事をしようかなって考えてるわ」

 

言われて恭也は首を傾げる。実際、今しがたレンが口にした事はここ数日の事を考えると不可思議以外の何物でもない。

朝食を食べ終われば勉強だ訓練だと喚く彼女が別の事をすると言い出す。それを不可思議と呼ばずして何と言うのだろうか。

尤も、あくまで不可思議なのはそこだけ。別の事をすると言い出したからといって、彼女の事だからその手の事に関係がないとは思えない。

加えて場合によっては変に無理難題な事を押しつけてくる可能性もある。それ故か、恭也の顔には若干警戒の色を浮かぶ。

 

「……一応聞くだけ聞くが、一体何をする気なんだ?」

 

「別にそんな難しい事じゃないわ。ただ、ちょっと集中力と忍耐力が無い人には苦痛にしかならないって事らしいけど」

 

「らしい? レンもやった事がないような事なのか?」

 

「うん。でも今言った二つがある人なら楽しめるって話だし、やる事も本で読んだり実際に見たりする限りでは難しい事でもないみたいね」

 

「ふむ……で? 結局のところ、レンの言うソレとは一体何なんだ?」

 

「ふふん、それはね~……コレよっ!!」

 

なぜか経験が無いと言っていた割に得意げな様子で見せたのは、何かを上段から振り下ろすような動き。

細めの棒のようなモノを持っていると仮定した上でのジェスチャー。それをブンブンと何度か彼の目の前で繰り返す。

そんなレンの動きを見た恭也は少しばかり思案をした後、ああ……と何かを思い付いたような声を上げて再び口を開いた。

 

「なるほど、素振りか。だがアレは確かに集中力も忍耐力も必要ではあるが……その二つよりも体力などのほうがむしろ重要じゃ――――」

 

「ちっがうわよ!! 何でレンの今の動きで素振りなんて思い付くのよ!?」

 

「む……となると畑でも耕そうというのか? しかし、ここの周りにはどう見ても畑なんて――――」

 

「それもちがう!! もう、キョウヤは想像力が乏しいわね!! コレよ、コレ!!」

 

「……ああ、なるほど。そうか、レンはそれがしたいと言いたかったのか」

 

「や、やっと分かった……?」

 

ここまでやればさすがに分かるだろうと少しばかり期待を込め、彼の口から発せられる次の言葉を待つ。

そしてそんな期待を受けながら、恭也は心なしか少し自信ありげな口調で頭に浮かんだソレを口にした。

 

「要するに餅つきがしたかったんだな、レンは。全く、それならそうとちゃんと口で言えばいいだろうに」

 

「っ――ちがうちがうちっがーーーーう!! 素振りでも畑を耕すのでも餅つきでもなくて、レンがしようって言ってるのは釣りよ! さ・か・な・つ・り!!」

 

もういい加減ジェスチャーでは伝わらないと判断した故か、ちょっとお怒り口調で興奮を隠そうともせず答えを口にする。

逆にその答えを聞いた恭也は驚きを顔に浮かべる。自身の考えが外れたからではなく、レンの口から出た単語によって。

 

「釣り、か……意外だな。レンはそういう事が好きではないように思っていたんだが」

 

「はぁ、はぁ……実際、好きじゃないわよ。糸を海に垂らしてるだけで何が楽しいのか分かんないし、何より魚を素手で触るとか考えただけで鳥肌が立つわ」

 

「なら、なぜ釣りをしようと思ったんだ?」

 

「別に……レンとしては釣りじゃなくても良かったわよ。あくまでキョウヤの息抜きが出来ればいいってだけの考えだったから」

 

要するにレンが今日の予定として釣りを提案してきた理由とはつまり、恭也に気を遣っての事であるというわけだ。

普段、勉強だの訓練だのばかりで休みらしい休みはなく、恭也も文句を言わないから何も考えずソレをただ続けてきた。

けれど何時頃からかは知らないが、思い至ったのだろう。あまりに急ピッチで物事を進め過ぎて、息抜き一つさせていないと。

普通の人間なら途中で根を上げるも不思議ではない。けれど彼は何も言わなかったから、思い至るのがこんなにも遅くなった。

レンだってこんな性格ではあるが、相手を労わる事だって多少はする。無理をさせ過ぎれば、罪悪感だって持つ事もある。

それ故の今回の提案だったのだろう。だからか、レンの告げた言葉からそう読み取った恭也は僅かに笑みを浮かべ、レンの頭を撫でる。

それに最初こそ顔を赤くしてレンは反発するも、それでも彼が止めなかったためか、諦めて彼女はしばし為すがままに撫でられ続けるのだった。

 

 

 

 

 

自室での予定確認から十数分後。二人はとりあえず朝食を食べようと自室を後にして食堂へと赴いた。

そこで食事を取りながら聞く所によれば、どうにも魚釣り自体はこの研究所に於いて差して珍しくはないらしい。

というのもココでは娯楽らしい娯楽がまるで無く、かといって『執行者』以上ならともかく一般構成員は容易に外出できない。

そうなると研究所のある敷地内で何か娯楽がないかと多くの者たちが考えた結果、周りが海に面している事から釣りが浮かんだとの事。

とはいえ釣りに必要な道具がここに置いてあるはずもなかったため、道具は自身らの手で作ったり外へ出る機会が合った時に調達したり。

各々が様々な手段を以てどうにかある程度の人数が釣りをするのに必要な数の道具が揃ったのが、恭也がこの世界に来る一週間くらい前。

それと同時期に娯楽として釣りも広まり、今では訓練やらの合間を縫って釣りを楽しむ輩が釣りスポットとされた場所ではよく見られる。

加えてこれに乗じて食堂側も釣った魚を持ってくれば、その場で調理するなどと公言するものだから、より一層釣りはブームとなったわけである。

 

「釣った魚をその場で調理する、か……確かに魚は新鮮であればあるほど美味しいから、人気が出ても可笑しくはないな」

 

「そうよねぇ。正直釣り自体は何が面白いのか理解できないけど、美味しい魚が食べられるっていうのはレンとしても魅力的ね♪」

 

研究所内に於ける釣りの人気度を聞いて恭也が呟けば、レンはそんな事をニコニコとした笑みを浮かべつつ返してくる。

レンが結構魚好きだという事はほぼ毎日一緒に食事をしている故に知ってはいたが、これを聞くとやはり猫だなとより一層思ってしまう。

尤も、それを実際に口に出したりはしない。別に猫っぽいと言った所で怒るとは思えないが、万が一機嫌を損ねられても厄介である故に。

 

「しかし、そうなると食堂側としては大変なんじゃないか? 道具の数がある程度あるという事はつまり、釣って持ってくる人も多いわけであって」

 

「ん ~、実際はそうでもないみたい。確かに道具の数も釣りをする人も多いみたいだけど、何でも教授曰く施設内にある多くの機械から発生する磁場が影響してこの 研究所の周りにはあまり魚が寄りつかないらしいのよ。だから、釣りをしても簡単には釣れないだろうって言ってたわ。ただ、釣り難いってだけで釣り上げた人 も少なからずいるにはいるらしいから、諦めずに挑戦し続ける人は結構多いみたいね」

 

「なるほどな……」

 

魚があまり寄り付かなければ釣れないのは当たり前。けれど実際に釣ったというケースもあるから諦める人はほとんどおらず。

それは食堂側にとっても負担が極めて大きいわけでもなく、かといって釣りという娯楽が廃れ始めているわけでもないという事。

要するにどちらにとっても不満が生じるわけではないという事である。まあ、少しでも不満と感じた時点で娯楽では無くなるだろうが。

ともあれ、そんな風に思いながらも納得したように恭也は頷くが、同時にまたも疑問が一つ浮上したためか再びその口を開いた。

 

「もう一つだけ聞きたいんだが……その釣りというのは餌釣りなのか? それともルアーか?」

 

「ん~、一応どっちも出来るみたいだけど……どっちが主流かって聞かれたら答えかねるわね。レンも釣りをしてる現場を実際に見たわけじゃないし」

 

「ふむ……」

 

「まあ、別に本格的にやる必要もないから適当でいいんじゃない? 美味しい魚を食べたいとは思うけど、結局は勉強の息抜きでやる程度の事なんだから」

 

魚好きのレンとしては釣りたいという気持ちはあるのだろうが、別に絶対釣りたいとまでは彼女も思っていないらしい。

所詮は息抜き程度の娯楽。釣れるなら重畳、釣れなくても一日まったりのんびりできただけでも良しとするという考えなのかもしれない。

けれど恭也としては彼女と少し考え方が異なる。というのも彼は元の世界で趣味としていた盆栽の次くらいに釣りが好きなのだ。

加えて結構昔からやっているためか、釣れなかったら結構な悔しさを抱いてしまう。要するに釣りをするなら、一匹でも釣りたい人。

もちろん、のんびりするという理由だけで釣りをする事を否定するわけでもない。故にレンの言葉に反発する気も当然ながら無い。

だが、そんな考え方である故か口に出すわけではなくも少なくとも一匹は釣ろうと決意を固めるのだった。

 

 

 

 

 

その後の話し合いから、釣りは餌釣りにする事に決定した。というよりレンがどちらでもいいと言うので恭也が勝手に決めたのだが。

当然どちらでもいいと言っただけにレンは文句も言わず従い、二人は朝食後に研究所の倉庫へと赴いていくつかの道具を調達。

そして餌釣りに必要不可欠な餌を調達するべく、再び食堂へ。どうやらレン曰く、釣りの餌は食堂で進言すれば提供してくれるらしい。

実際、いつも食事を注文して受け取るカウンターで魚釣りの話を出せば、すぐに餌(青ムシ)の入ったケースを二人分用意してくれた。

ちなみにそれを見た瞬間にレンの表情が若干引き攣ったりしていたのだが、そこはまあレンも女の子なので仕方ない事なのだろう。

ともあれ、そんなわけで釣りに必要な物を全て揃えた二人が続けて向かったのは、研究所の裏手に当たる岩場であった。

何でも餌を貰う際に聞いた話なのだが、そこは研究所周辺にある数々の釣りスポットの中で最も釣れたという話が多い場所らしいのだ。

別段釣り場に関して選り好みをする気もない二人なため、場所探しの時間は省けるという事で迷わずそこへ向かったというわけである。

 

「さて……それじゃあ早速、釣りを始めるとするか」

 

「そうね。あ、レンの分の竿にも餌付けてね。そんなウネウネした気色悪い虫なんて触りたくないし」

 

「……まあ、構わんが」

 

場所を決め、腰を下ろして用意を始めたのに対して言ったレンの言葉に少しばかりの呆れを灯す。

とはいえ、無理に自分で付けさせようとすると後で何をされるか分かったものではないため、頷きつつ彼女の分も用意する。

そして用意し始めてからおよそ二分弱。餌を取り付けた竿をレンに手渡し、恭也は自身の竿を目先の水面へと軽く振るう。

反対にレンも釣りの知識は無くとも恭也の真似をすればいいと考えたのか、同じような動きで竿を振るった。

 

「…………」

 

「…………」

 

水面に糸を垂らし、プカプカと浮かぶ浮きを黙って見詰める。釣りというモノは基本的にそういうモノだ。

それ故、竿を振るってからは二人とも微動だにせず、会話らしい会話も特にせぬまま静かに浮きを見詰めていた。

とはいえ恭也はともかくとしても、釣り好きでも何でもないレンはそんな無言空間にいつまでも耐えられるわけもなく。

波音しかしない静寂が数分ほど続いた段階でソワソワし始め、更に数分後が経った際には遂に耐えられなくなり、閉じていた口を開いた。

 

「ねえ、キョウヤ」

 

「ん?」

 

「レンは釣りの知識がサッパリだから良く分からないんだけど、お魚ってこうしてるだけで釣れるモノなの?」

 

「釣れるときは釣れるな。尤も、釣れないときは全く釣れないわけなんだが」

 

「……それってさ、釣れなかったら時間の無駄って事よね。確かにまったりするのもいいかもって言ったけどさ……」

 

「俺はそうでもないと思ってるが……レンからしたらそう感じるのかもしれないな」

 

勉強してるときでもアーツの訓練をしてるときでも、基本的にレンは落ち着くという事を知らない子である。

それはやはりまだ子供だからというのも理由の内だろうが、おそらくは本人の性格的な部分が大いに関係していると思われる。

比較的お転婆で行動派、まるで考えなしというわけではないだろうが、思い立ったら動かずにはいられない。

そんな性格があるせいか、一ヶ所に落ち付くという事が苦手。だからこそ、今のような状況はレンにとって若干苦痛なのかもしれない。

尤も、それならばなぜ息抜きとはいえ釣りをしようなどと考えたんだとも思うが、おそらくは何だかんだ言い繕っても結局は魚が食べたかったのだろう。

 

「まあ何にしてもだ、新鮮な魚が食べたいのなら釣れるまで黙って待つしかないな」

 

「そうね~……って、べ、別にレンはお魚が食べたいから釣りをしてるわけじゃないわよ? あくまで釣りをしようって言い出したのは勉強や訓練尽くめなキョウヤの息抜きを考えての事であって――」

 

「分かった分かった。分かったから、とちあえず竿に集中しとけ。折角掛かったのに見てなくて逃がしたでは笑えんぞ?」

 

そんな言葉で返しつつレンの頭をポンポンと叩く恭也であったが、本人は不満たっぷりにプクッと頬を膨らませる。

その不満はおそらく彼の発言に対してではなく、彼の態度に対して。明らかに小さな子供を諭すようなその態度や仕草に対してだろう。

確かに年齢的、肉体的には子供である事を否定は出来ないが、精神的には大人だと自負してる部分が彼女にはあるのだ。

だからか子供扱いされる事を若干嫌がる。まあ、だからといって褒められたり撫でられたりするのは別に嫌ではないらしいのだが。

けれどこちらもやはり相手の口調などで子供扱いしてる感満載であると嫌がる。そしてここ最近では、恭也がその分類に該当している。

常々子供扱いしないでと言ってはいるが、恭也は一向に止めない。というよりレンは知らない事だが、無意識に妹と重ねてるのかもしれない。

性格も容姿も、何もかもが違う。だけどこの年頃の女の子を見ると元の世界にいる末っ子の事がどうしても頭の中を過ってしまう。

それ故にこのような態度を無意識でしてしまうのかもしれないが、そんな事情など知らぬレンは不満以外の感情など浮かべようが無い。

しかしまあ、不満に思うだけで以前のように怒りに発展する事は無く、しばらくの後に不満顔から先ほどまでの表情へと戻った。

 

「ふぁ~あ……むにゅ。釣りって退屈過ぎて駄目ね……眠くなって仕方ないわ」

 

「まあ、今日は特に天気もいいからな。この陽気の下だと眠くもなるかもしれん」

 

「かもじゃなくて本当に眠くなってるのよ……」

 

表情が元に戻ったかと思えば、今度は眠そうな顔。というか、最早何時寝ても不思議ではないくらいの半目状態。

加えて恭也の言葉には一応返してはくるも語気が非常に弱くなっている辺り、相当な眠気が彼女を襲っているのだろう。

尤も彼が口にした通り今日は非常に天気が良く、気温も温かい。そんな中で釣りをしていれば、眠くなっても不思議ではない。

故にか恭也も呆れる事も一切無く、眠気に負けて海に落ちないよう少しだけレンの傍へ静かに寄るのみ。

そんな彼の行動にレンも意識半ばながら気付いたのか僅かばかりの安心を抱き、それが余計に眠気を増長させる羽目となる。

そして遂には完全に起きようという意思よりも眠気の方が勝ってしまったのか、ゆっくりと彼の腕にその身体を預け――――

 

 

 

 

 

「よっ。釣れてるかい、話題のお二人さんよ」

 

――掛けた所でそんな声が聞こえ、即座にバッと上体を起こした。

 

 

 

 

 

あまりに勢いをつけて上体を起こした故か、レンの体は寄り掛かろうとしていた方向の反対側へと傾く。

だが倒れまいと片手を突いて支え、何とか体勢を持ち直すも次いで自分たちへと声を掛けてきた人物を睨む。

同じく睨む事こそしないが、さすがに恭也も驚きの視線を向けるのだが、当の人物は両者の視線に対してどこ吹く風状態。

まるで気にもせぬまま、むしろ自分がした質問の答えの方が気になったのか、スッと身体を動かしてバケツへと視線を落とす。

 

「何だ、まだ一匹も釣れてねえのかよ。普段あれだけ大口叩いてる割には大した事ねえなぁ」

 

「いつも言ってる事と今やってる事は何ら関係ないじゃない。というか、何でアンタがここにいるのよ」

 

「何でも何も、釣りをしに来たからに決まってんだろ。それとも何だ? 釣り道具引っ提げて世間話でもしに来たように見えんのか、テメエにはよ?」

 

そこそこ口の悪い喋り方、オレンジ色の髪色にサングラスを掛けたラフな格好のこの男の名はヴァルター。

オーブメントにセットするクオーツを選んでいる最中で突如現れたのを最初としても、恭也が彼と会うのはこれで二度目。

まあ、同じ『執行者』であるルシオラとも会ったのは二回程度なのだから、別段少ないとも多いとも言えない回数ではある。

とはいえ、見た目的に釣りなんてするような風貌には見えない為、まさかこんな所で会うなどとは恭也もレンも予想しなかったのだが。

実際にこうして遭遇する羽目になった上、彼が持っているのは間違いなく釣り道具。抱いていた予想が全て打ち砕かれる瞬間であった。

 

「よっこらせ、っと……」

 

「ちょっと……何でわざわざレンの隣に座るのよ」

 

「あ? そりゃお前、ここが空いてるからだろうよ。ま、空いてるって意味じゃ別にそっちの――キョウヤっつったか? ソイツの横でも良いんだけどな」

 

「じゃあそっちに行きなさいよ。何が悲しくてこんなオッサンと肩並べて釣りしなきゃいけないわけ?」

 

「相変わらず口の悪いガキだな、テメエは。少しはソイツを見習ったらどうだよ、おい」

 

「見習ったらも何も、さっきからキョウヤは一言も発してないじゃない! そもそも口が悪いとかアンタに言われたくないわよ!」

 

「お~怖い怖い。んじゃま、五月蠅い鬼小娘の逆鱗に触れる前に大人しく移動するとしますかねぇ」

 

わざとらしく肩を竦めて立ち上がり、言われた通り恭也の横へと移動して再び腰を下ろす。

その段階でようやく恭也は我に返るも、特に親しいわけでもない彼と話す話題など無いためか無言のまま竿を眺めるのみ。

そんな彼にヴァルターも特別構うような様子は無く、手際良く釣りの準備を行い、隣の二人と同じく糸を垂らし始める。

反対に隣に彼が座るという状況を逃れたレンはといえば、そもそも彼がここにいる事自体に不満があるのかブツブツと文句を並べ立てていた。

けれども聞こえているはずのそれも彼は全く気にも留めず、視線は向けないながらもさっきから無言状態の恭也へと話し掛ける。

 

「お前よ、釣りをすんの初めてじゃねえだろ?」

 

「は? ええ、まあ……」

 

「やっぱりな。そこのガキンチョに無理矢理やらされてるって言うには竿の動かし方が慣れ過ぎてるから、そうじゃねえかと思ったんだよ」

 

「ヴァルターさんは、釣りにお詳しいんですか?」

 

「詳しいって程じゃねえさ。暇なとき、たまにする程度だからな。それと別に俺に対してさん付けや敬語なんて使わなくていいぜ?」

 

「は、はあ……ですが俺の立場で言うと一応、貴方も上司のようなモノに当たる訳なんですけど」

 

「つってもお前、そこのガキンチョには敬語もさん付けも使ってねえだろ?」

 

「レンはまあ……本人が極度に嫌がってますし、俺自身も抵抗がありますから」

 

「そんじゃ、俺も嫌だから普通で話せ。抵抗があっても我慢しろ」

 

「……無茶苦茶ですね」

 

「そうでもなきゃ『執行者』なんて勤まんねえよ」

 

軽く笑いながらそう返してくる彼に対して恭也も知らぬ内に苦笑を浮かべ、努力すると短く答える。

それにヴァルターも満足げに頷き、再び無言に戻って竿から水面に垂れる糸に意識を集中しようとするが。

 

「あら、それなら私に対しても同じようにしてもらおうかしら?」

 

「「――!!」」

 

途端に後ろから聞こえてきた声に恭也だけでなくヴァルターさえも驚き、先ほどと同じくバッと振り返る。

するとそこにいたのはまたもレンやヴァルターと同じ『執行者』。“幻惑の鈴”という二つ名を持つルシオラという女性であった。

恭也にしてもヴァルターにしても、熟練の戦闘者というのは常に周りの気配に対して敏感なものであるはず。

にも関わらずルシオラはその二人に気取られる事も無く、二人の背後に立った。これが戦場なら、この時点で命は無かっただろう。

何て事を考える恭也とは違い、ヴァルターのみはルシオラの突然の出現に今まで見た事がないような呆れ顔を浮かべていた。

 

「テメエ……気配消して背後に近づくなって何度言えば分かんだよ、おい」

 

「あら、気配を消したつもりはないわよ? 単純に貴方が気を抜き過ぎていただけじゃないかしら?」

 

「はっ、別に気を抜いてたつもりはねえが……まあいい。んで、テメエは一体何しに来たんだよ。釣り道具を持ってねえ辺り、釣りしに来たわけじゃねえのは分かるが」

 

「特別用事があったわけじゃないのだけれど、そうね……如いて言うなら、食堂で貴方達が釣りをしに行ったという話を聞いたから、レンをからかうついでの様子見って所かしら?」

 

「なるほどな。けどよ、そのからかう相手はさっきからあの調子だぞ?」

 

「ええ、私も来てみてビックリしたわ」

 

ルシオラがビックリするほどのレンの現状と言えば、さっきからずっと言い続けている文句に加え、黒いオーラを纏っているというもの。

しかも呟きを聞く限り、ヴァルターへの文句から恭也への愚痴に切り替わっている様子。これには二人より、むしろ恭也のほうが冷や汗ダラダラである。

 

「お、おい、レン……?」

 

そ もそも恭也ってば、何であんなに物覚えが悪いのよ。折角この可愛くてキュートなレンが直々に教えてあげてるのに、努力の欠片すら見えないし。これはあれ、 あれなの? レンを子供だと思って馬鹿にしてるって事なの? だとしたら、お仕置きが必要よね。レンの事を二度と子供だと馬鹿に出来ないくらいキツイお仕 置きが――

 

「レン? レンさ~ん?」

 

やっ ぱり『パテル=マテル』のビームでドカン? ああ、それはお仕置きどころか死んじゃうから駄目ね。死んだらお仕置きにならないわよね。だとしたら布団と ロープで簀巻きにしてアーツの的にするとか? それだったら当たるギリギリラインさえ守れば大丈夫なわけで……うん、お仕置 きとしてはこっちの方が――

 

ルシオラの存在に気付くどころか、先ほどから冷や汗を流しつつ話し掛ける恭也の声にも一切反応せず。

加えて呟かれる内容が愚痴から不穏なお仕置きの内容へと切り替わってきている故、恭也も焦りが顔に出始めていた。

反対にそんな二人の様子を単純に眺めていたヴァルターとルシオラの二人はと言えば、触らぬ神に何とやらという感じで眺めるのみ。

そんな二人の視線の先にて遂にはレンの肩を掴み、揺さぶりつつ声を掛け始める恭也。対してそれでもトリップ状態から抜けないレン。

どっちが上で下の立場なのか、仲が良いのか悪いのか……最早奇妙な関係としか言い様が無いが、見ていて飽きない二人組。

静かに響いてくる波音に負けないくらいの喧騒を響かせる二人に対して大なり小なり笑みを浮かべつつ、レンと同じ『執行者』の二人は思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

 

 

【咲】 息抜きのはずの釣りが息抜きになって無いわね。

まあ、『執行者』の二人が乱入してきた上、そのせいでレンが壊れ気味になったからな。

【咲】 なんか最近、レンの性格が可笑しな方向に行っちゃってる気がするわね。

ん~、それは俺も思ってる。ただまあ、他の『執行者』が関わるとどうしてもこんな感じになるんだよね。

【咲】 基本、レンをからかってるものね。

ルシオラはともかく、ヴァルターは素だけどな。まあ何にしても、穏やかな光景ではあると思う。

【咲】 ルシオラ曰く慣れ合わないはずの『執行者』が若干慣れ合ってるように見えるものね。

一口に言えば、こうなったのは恭也という存在が大きく影響してるけどな。

【咲】 そうなの? 

うむ。そもそも、そうじゃなきゃレンにしても他の『執行者』にしても、施設内でこうまで遭遇する事はないだろうよ。

【咲】 ま、それは確かにね。レンが恭也の教育として残ってるから会う機会があるって感じではあるわね。

尤も、それでも遭遇率が高いわけじゃないがな。結局は勝手気ままな集団に変わりは無いし。

【咲】 というか、レンやレーヴェ、ヴァルターやルシオラ以外の残りの『執行者』はいつ出てくるの?

ふむ、一人は次回出す予定だな。もう一人の方も近い内にはって感じ。

【咲】 どっちが先に出てくるってのは言わないわけね。

次回を見てもらえれば分かるからな。ここで言う必要もあるまい。

【咲】 つまり、次回の楽しみが半減してしまうからここでは言えないと?

ま、まあそういう事だな。

【咲】 はぁ……でもさ、アンタの予定って結構簡単に狂うわよね。

むぅ……そりゃ確かにそうだが、そこの辺は仕方ないとしか言いようが無いな。

構想を練ってる最中で前の予定を切り替える事が結構多いわけだし。

【咲】 それなら細かなものじゃなくて大まかな予告をすればいいんじゃないの?

!!?!?

【咲】 今更気付いたのね……はぁ、とんだ大馬鹿だわ。

あ、あははは……ともあれ、今回はこの辺にしておこう。

【咲】 はいはい。また次回会いましょうね~♪

では~ノシ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感想は掲示板かメールにて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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