僅かに聞こえる扉が開く音。そこからゆっくりと音も立てずに近寄ってくる微かな気配。

その二点で落ちていた意識を浮上させ、目を覚ます恭也。だが、そこで目を開ける事はしない。

近寄る気配が誰か分からなければ彼もさすがにそんな事はしないが、コレに関しては誰か分かっている。

もちろん、感じる気配は本当に薄いモノなのでそこから誰かという部分を特定する事は難しい。

けれど今の時間が早朝という事もあり、別に気配から特定しなくても彼には気配の主が誰か分かってしまうのだ。

 

(やれやれ……本当に懲りないな、レンは)

 

起きていながら寝た振りをしつつ、恭也は心中で気配の主として頭に浮かぶ人物に溜息をつく。

いい加減諦めればいいものと彼自身思うが、どうにも意地っ張りな所があるらしく、彼女はソレを毎日繰り返す。

そのたび気配の消し方も足音の殺し方も上手くなってきてはいるが、まだまだ完全ではないので達成には至らない。

むしろ手の込んだ手口で逆に驚かされたりする始末。だからこそ余計に意地になっている部分もあるのかもしれない。

特に前日息抜きとして行った釣りのときからしばらくは持ち前の大鎌を手に持ってる事もあった。怒りが収まった最近はそれも無くなったのだが。

ともあれ、結局は今日も今日とて同じ行動を繰り返しているわけだが、今日に関しては恭也も別に手の込んだ仕掛けは用意していない。

というより昨日、ずいぶんと遅くまで勉強させられた故にそんな余裕がなかったのだ。まあ、課題を時間内にこなせなかった彼の自業自得なのだが。

そんなわけで今日は手の込んだモノではなく、至ってシンプルなモノ。単純に彼女が至近まで近づいた瞬間に飛び起きるというだけの手口。

こういったモノはシンプルなほど意表をつける場合もある。更には直前まで寝ている振りをしてるわけだから、余計に驚くはずだと予想出来る。

それ故、気配がゆっくりゆっくりと近づいてくるのを横になったまま、ソレが自身の横たわるベッドの横に来るまでただ静かに待った。

そして遂にその気配がベッドの横に到達し、歩み寄る足を止めると同時に手を伸ばそうとした瞬間を見計らい――――

 

 

 

 

 

――ガバッと少し大袈裟気味に上半身をベッドから起こした。

 

 

 

 

 

「――おお!?」

 

驚かす事には成功したらしいが、聞こえてきたのはレンの声よりももっと低い男性の声。

かといって今まで会った男性のどの声にもそれは一致しない。つまり、完全に知らない人の声。

故にか恭也は僅かな驚きを顔に浮かべ、すぐさまそちらの方へ顔を向けた。

 

「フフ……ずいぶんと狸寝入りが上手いじゃないか。まさかこの私がしてやられるとは思わなかったぞ」

 

「…………」

 

「む、どうしたのだ? そんなマジマジと私の顔を――いや、待て。なるほど……そうか、そういう事か」

 

一人でゴチャゴチャと何か言いながら、終いには勝手に納得し出す。そんな見た目変人としか言いようがない仮面男。

正直、想像していた人物とは大きく掛け離れ、そんな見知らぬ人が起き抜け目の前に居れば唖然としても不思議ではない。

だが、そこに気付いているのかいないのか、仮面の男は納得したように何度か頷いた後、突然マントを翻す。

 

「君もまた、私の『美』の虜になってしまったというわけか!! これは実に愉快だ!! フハハハハハ――――!!」

 

「そんなわけないでしょうが!! この変態仮面!!」

 

何か訳の分からない事を口にしながら喜ぶように笑う仮面の男。そんな彼の後ろから突然響く怒声に近い返答。

同時に小柄な身体を宙に舞わせ、下着が見えるとか関係なく飛び蹴りをかましてきたのは遂先ほど部屋に入ってきたレンである。

だが対面にいた恭也は言わずもがな、仮面の男もレンの接近に気付いていたのか、ヒラリとその飛び蹴りを華麗に避ける。

すると攻撃対象を失ったレンはその勢いのまま仮面の男の横を抜け、恭也のベッドへと盛大にダイブする羽目となった。

 

「やれやれ……危ないじゃないか、レンくん。おろしたばかりのマントに汚れでもついたらどうする気なのかね」

 

「ッ――どうもしないわよ! ていうか、何でアンタがここにいるのよ!!」

 

「ハハハ、何でとはまた可笑しな事を。別段実験が開始されたわけでもない今、私がこの研究所に居ても不思議じゃないのではないかな?」

 

「研究所の居る事を聞いてるんじゃないの!! レンは、何でアンタが、キョウヤの部屋に、無断で入ってるのかって聞いてるの!!」

 

のらりくらりとレンの言葉の応酬を受け流す仮面の男。そこには僅かながら、慣れの様なモノさえ感じさせる。

加えて実験という単語を口にする辺り、彼もまた『執行者』の一人であるという事は恭也にも容易に推測できた。

とはいえ、所詮は推測程度で確実とは言えない。故に本来ならそこを尋ねたい所だが、未だ間に入る事も出来ぬ程の言葉の応酬を継続中。

それためか、すっかり蚊帳の外に置かれた恭也はしばし二人(主にレン)が落ち着くまでの間、黙って成り行きを見守るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Trajectory Draw Sword

 

第六話 確かな変化、傍にいる事の重要性

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ、私の名かね? 見ての通りで分かると思うが、私もまたレンくんと同じで『執行者』の一人だ。名をブルブラン、二つ名は“怪盗紳士”と――」

 

「無断で部屋に侵入した挙句、勝手に自己紹介を始めてんじゃないわよ!!」

 

「ハハハ、いきなり飛び蹴りとは危ないじゃないかレンくん」

 

勝手に部屋に侵入したという点ではレンも同じだと思うのだが、彼女の性格を考えると他人は駄目でも自分は良いと思っているのだろう。

まあ恭也としてもいつもの事なので特に咎めるという事も指摘するという事もない。そもそも、今はそれ以上に突っ込みたい事が山ほどある。

だが、それを嵐の如く口にしても迷惑なだけだろうし、何より絶賛盛り上がり中の二人の耳に届くとは到底思えず。

そんなわけで口を噤んで見守っていたわけだが、飛び掛かってくるレンの服の後ろ襟を掴んだ状態で彼――ブルブランがようやく彼の方へと向く。

 

「さて、暴れ姫が大人しくなった所で質問させていただくが、君がレンくんの直属部下となった話題のタカマチキョウヤくんでよかったかな?」

 

「ええ、まあ……そういう事になりますね、一応」

 

「なるほどなるほど。話に聞いていただけでどんな人物かと思っていたが……これは中々どうして、素晴らしい『美』をお持ちのようだ」

 

「は? 『美』、ですか……?」

 

「そ うだ、『美』だ!! その闇の如き漆黒の髪、素晴らしいまでに整った顔立ち、いつ襲い掛かられても対処できる言わんばかりの隙のない立ち振る舞い ……まさに『美』の集大成! 『美』の体現者と呼ぶに相応しい。フハハハハ、君とは良き友になれそうだ!!」

 

「は、はあ……」

 

口を開けば『美』という言葉を放つこの男、初対面の恭也から見てもかなりの変人だという事が嫌でも分かってしまう。

今まで会った『執行者』はまあ、変な所が全く無いという訳ではないが、それでもマトモと言えるような人格をしていた。

だというのに彼はそこから一歩二歩どころか、数十歩も先を行くほどのぶっ飛び様。最早着いていけない領域の変人ぶりであった。

 

「む~! いい加減放しなさいよ、この変態紳士!!」

 

「――おお!?」

 

ブルブランは大人しくなったと言っていたが、後ろ襟を掴まれて宙にブラブラ浮いた状態でもレンは暴れ続けていた。

ただ多少暴れたぐらいでは拘束を解けないと判断した故か、それともいい加減その状態のまま放置される事に怒りを覚え始めたのか。

後ろ襟を掴まれた状態から勢いに任せて掴んでいる腕を中心に回転し、顔面に向かって蹴りを放つという手段に彼女は出た。

だが、その行動は予想外だったためか驚きを露にする彼ではあったが、そこはやはり『執行者』なのかギリギリで回避に成功する。

しかしながらその際に掴んでいた手を放してしまい、やっと自由の身となったレンはそそくさと彼から離れ、恭也を護るように前に立つ。

 

「他の人たちならいざ知らず、アンタだけはキョウヤに近づくの禁止! 上司兼教育係として、その変態さをキョウヤに伝染させるわけにはいかないんだから!」

 

「む、それはさすがに聞き捨てならないな。私はあくまで種類は違えど同じ『美』の持ち主として、彼と親愛の杯を交わそうとしているだけなのであって――」

 

「そういう発言をしてる時点ですでにアウトなの! とにかくさっさと出て行きなさいよ、この変態仮面!!」

 

「ハハハハ、私とて曲がりなりにも『執行者』の一人。二度も三度も同じ手は食わんぞ、レンくん!」

 

ドタドタ、ドカンバタンと早朝から騒々しい音を立てて暴れる『執行者』二人。それはもう、すでに仲裁出来る範疇を超えている。

だからか恭也は朝っぱらから本当に深い溜息をつきつつ、もう勝手にやってくれと背中で語りながら部屋を後にした。

 

 

 

 

 

部屋を出た恭也が向かった先は、食堂。赴いたそこは早朝という事もあり、そこそこな賑わいを見せていた。

ただいつもの事ではあるが、ほとんどの人が下っ端兵士であるため、来ている物が皆ほとんど同じ。

そんな中で恭也のみ元の世界から着ている私服(一応衣服は支給されてはいるが)であるため、結構浮いている。

とはいえ普段はレンも一緒ではあるが、浮いている事自体はいつも通りであるため、特別そこを気にする事は無く。

適当にカウンターで注文をし、トレイを受け取ってから空いている席を見付け、そこに腰掛けると疲れたような様子で食事を取り始めた。

 

「はぁ……朝っぱらから何でこんな目に合わないといけないんだ、全く」

 

スプーンを口に運びつつ呟いた一言は誰に聞かれるでもなく、その他大勢の話声やらによる騒がしさで掻き消される。

いつもならこんな呟きでも返してくれる少女が一人いるのだが、早朝の騒動の原因の一人であるため今はおらず。

食事を取り始めてから少しばかりの時間が経っても来ない辺り、おそらく未だあのブルブランという仮面の変態と交戦中なのだろう。

故に最近じゃ珍しい一人での食事という光景が続いているのだが、先ほどの事もあってレンといるよりも格段に疲れていた。

 

「フフフ……早朝からずいぶんと不景気な顔ね、キョウヤ」

 

「? ああ……おはようございます、ルシオラさん」

 

「ええ、おはよう。隣、いいかしら?」

 

斜め後ろから声を掛けてきた女性――ルシオラは恭也が頷いたのを確認すると彼の右隣の席へと腰掛ける。

ちなみに少し前までならレンを抜かした『執行者』から積極的に声を掛けられると対応に困っていた恭也ではあったが。

ここ最近は何となく会う機会が多くなり、自ずと各々の性格等を把握できるようになってきたため、困る事も無くなったというわけだ。

しかしまあ、あくまで慣れたのは恭也だけであって周りの人たちは慣れないらしく、彼女の存在によって食堂の空気は僅かなり変わった。

特別目立つような変化ではないが、彼女が来る前からいる恭也にはその変化が分かる。そしておそらく当の本人も気づいてはいるだろう。

にも関わらず彼女はまるで気に留めた風も無く食事を取り始める辺りは神経が図太いと言うべきか、さすが『執行者』と言うべきか、正直迷い所である。

 

「それで、今日は一体何があったのかしら? レンの姿が見えない辺り、あの子関連だとは推測出来るのだけれど」

 

「レン関連というのも強ち間違っては無いですが……もっと正確に言うなら『執行者』関連といった所ですね、今回のは」

 

「『執行者』関連? またヴァルターとレンが喧嘩でもしたの?」

 

「いえ、今回はヴァルターさんではなく俺も初めて会う方です。確か名前は……ブルブラン、だったかと」

 

「……なるほど、ね。確かにそれなら、さっきの疲れ様も凄く納得出来てしまうわ」

 

「そんなに問題人物なんですか、彼は……?」

 

「いいえ、彼自身は特別問題を起こすような人物ではないわ。それなりに変な所はあるけれど、一応人並みの常識と呼べる物は持ってるもの。ただ……」

 

「……ただ?」

 

「レ ンとは、ね……その、少し相性が悪いみたいなのよ。今でこそ喧嘩なんて事もするようにはなってるみたいだけど、貴方が来るよ りも以前は完全に避けの姿勢。それこそ任務以外だと声を掛ける所か、自分から近寄りすらしなかったくらいなんだから」

 

「そこまでですか……」

 

「ええ、そこまでよ。尤も彼自身はレンの事を気に入ってるみたいだから、この相性というのもあくまでレンの一方的な感情である事は否めないけれどね」

 

彼女の語った話を纏めた上で結論述べるなら、レンのブルブランの仲というのは他から見ても宜しくはないという事である。

しかもその理由は見た目や言動など全てが変人と言わざるを得ないという彼女の一方的な決め付けによるものらしい。

事実、基本的に変人にしか見えないという点では同意する者も多いだろう。だが、それだけではないという事を知っている者もいる。

必ずしも彼の全てが変だというわけではないのだ。けれどレンはそれを認めず、全てに於いて変人だと思い込んでしまっている。

尤も彼女が天才と呼ばれる所以とも言える能力を以てすれば、そういう誤解も案外すぐに解けるのではないかと思えはするが。

実際はその力で彼の本質を見聞きし、理解した上でも拒絶反応が出てるらしいというのが直に本人から聞いたルシオラの証言。

ただそこまで話を聞いた段階で恭也は今しがた話していた内容とは別の部分に対し、僅かばかりの反応を示した。

 

「一つ聞きたいんですが……レンの力、というのは?」

 

「あら……あの子ったら、まだ話してなかったのね。ごめんなさいね、もうすでに話してるものだとばかり思ってたから」

 

「いえ、そこは別に構わないんですが……それで、その」

 

「あの子の力に関して、だったわね? えっと、確か……環境適応と、技能吸収の二つだったかしら。これを分かり易く説明するなら――」

 

「前者が周りの環境や状況を瞬時に受け入れる力。そして後者が、教えられたモノ、もしくはその目で見た技術や知識を容易に習得してしまう力……そんな感じのモノではないですか?」

 

「……さすがに名前を聞けば分かっちゃうわよね」

 

「ええ、まあ。ですが後者はともかく、前者の力は……」

 

「あの年頃の子が持つにはあまりにも残酷な力、と言いたいのでしょう? もちろん私もこれを聞いたときはそう思ったし、消せるものなら消してあげたいとも考えたわ。でも、どうしようもないのよ……こればっかりはね」

 

生まれ持った力ではないにしても、現状では取り除く方法は無い。明確に口にはされなかったが、その言葉は言外にそう言っていた。

そしてその言葉を最後に彼女は語るのを止め、食事の手を再開する。それはまるで恭也からの質問を拒否するようにも見える。

故に恭也はそれ以上言葉を続ける事は出来なかったが、その様子からそれに纏わるレンの過去は決して幸福なモノではかったのだと悟る。

同時にその傷は今も完全に癒え切ってはおらず、心のどこかに残る傷が今も彼女を苦しめているのだとも……。

その上で素直な気持ちを言えば、助けてやりたい。これ以上彼女が心の傷に苦しまぬよう、何とかしたいというのが恭也の正直な想い。

 

 

――けれど、そんな想いを抱いた所で今の自分に一体何が出来るのだろうか。

 

 

 

彼自身はまだこの世界に来て日が浅い。それ故に勉強はしているが、レンはおろか他の誰よりも知識面で劣っている。

戦闘技術に関してもアーツはまだ未熟の中の未熟だし、肉弾戦でもレンには勝てたが他の執行者となると余計に勝てる可能性は薄い。

つまり、知識面だけならず戦闘面でも現状では彼女の力にはなれない。ならば他の面で……というのも不器用故に容易には考え付かない。

一体何をすれば彼女を助けてやれるのか。彼女の傷ついているであろう心を癒すために、自分は一体何をしてやれるというのだろうか。

答えを導けない思考が螺旋のように頭を渦巻き、自然と彼の食事の手は止まっていた。そしてそれからしばし経っても、止まった手が動き出す事はなく。

食事を中断した状態のまま、彼は自身が手を止めている事にも気付かぬ様子で頭の中を渦巻く思考と格闘を続けていたのだが。

 

「でも前と比べれば、今のレンはずいぶんと柔らかくなったわ。たぶん、貴方のお陰でね」

 

恭也の様子を見兼ねたのか、それとも元々そう続けるつもりだったのか。そこは分からないが、ルシオラから不意にそんな言葉が口にされた。

ただ彼からすれば、そんな事を言われても戸惑うだけ。自分自身は何かをしたつもりはないし、それどころか日々レンを怒らせてばかりなのだ。

以前よりも怒りっぽくなったとか、すぐ暴言を吐くようになったとか、そう言われるのならば恭也としても納得出来なくもない。

けれどルシオラは今のレンを以前よりも柔らかくなったと言うのだから、そんな考えを持つ彼が戸惑う事しか出来なくとも無理はないだろう。

しかし、その部分を疑問としてぶつけても彼女は詳しく言うつもりはないのか、意味深な笑みを浮かべてはぐらかしてくるだけ。

それ故、結局どこを見て柔らかくなったと取ったのかという事を知る術もなく、疑問として頭に残したまま恭也は止めていた食事の手を動かし始めた。

 

 

 

 

 

何だかんだでルシオラと談笑をしながらの食事は約一時間という時間を費やす羽目となってしまった。

いつもならそのくらい時間が掛っても焦ったり急いで行動したりという事はないのだが、今日はいつもと状況が違う。

というのも朝食を取っていたのは自分一人であり、本来ならいるべきはずのもう一人を部屋に放置した状態のままだからだ。

例の変人――ブルブランもこんな長くまでレンと口論してるとは思えない。つまり、放置されたレンは現在一人きりという可能性が高い。

まあ、彼女の事だから恭也がいないと分かれば何なりと行動を起こすだろうが、どちらにしても一人きりであるのは変わりない。

それは同時に恭也に置いて行かれたという考えを抱かせ、拗ねる原因を作ってしまいかねないという事に繋がってしまう。

そうなると色々と対処が面倒になるため、少しでも早く戻ってご機嫌を取るに限る。それ故、今現在廊下を歩く彼の足取りは若干早めであった。

 

「む……」

 

そんな歩調で廊下を歩き続け、あと少しで自身の部屋という所まで来た時、少し先の曲がり角にて見知った人物を発見。

銀髪に灰色のコート、見た目自分と同じくらいの年齢な上にレンから雰囲気が似てると称された人物。名は、レオンハルト。

親しい者たちからはレーヴェという愛称で呼ばれる彼と会ったのは、初めてこの世界に来た日から数日間のみ。

それ以降は何かしらの任務を帯びているらしく会う事はなく、言うなればこれは一週間半くらいぶりの再会という事になる。

そこに加えて以前もそこまで多くを話したわけでもないため、そこまで親しいという関係が築けているというわけでもない。

故にか目が合ってしまった途端、レンがいないこの状況でどう対応すべきかというのが意の一番に頭へと浮かんだ悩みである。

しかし彼――レーヴェの方は特にそんな悩みは抱いていないのか、自然な流れで恭也の傍へと歩み寄ってきた。

 

「久しぶり、と言うべきかは悩むところだが……何にしても見た限り、元気そうな様子だな。ここでの生活はもう慣れたのか?」

 

「……まあ、多少は。そもそもレンと共に行動する以上は、慣れなければやっていけませんしね」

 

「そうか……確かにそうだな。あの子はそれなりに自分本位で動くところがあるから、そうでなければ付いていけないのかもしれないな」

 

「ええ。尤も、彼女のそんな部分に助けられているという面もやはりあるんでしょうが」

 

苦笑しながらそう言えば、レーヴェも納得するように頷く。実際、恭也の教育にレンを当てるというのは妥当な人選なのだ。

同じ『執行者』でもレーヴェは少し物静か過ぎるし、ヴァルターは戦闘はともかく勉強という面で向いてるとは到底思えない。

反対にレンと同じでその手の問題が特にないルシオラも適任と言えば適任だろうが、年上の女性という事で恭也はまず気を使ってしまう。

まあ、この部分は特別問題視されるほどのモノではないが、一応そういう側面もあるためルシオラよりもレンの方が良いように思える。

ちなみに最後に残ったブルブランだが、彼の場合はまず論外だろう。知識も戦闘技術もあるにはあるが、如何せん変人過ぎる故に。

ともあれ、そんなわけで現状この研究所にいる『執行者』の中ではレンが一番恭也の教育者として向いているという事になるのだ。

そもそも、そうでなければレンが恭也を部下にすると言ったとき、彼女には誰かを教育するなんて事は出来ないと誰かしらが反対していただろう。

けれどワイスマンやレーヴェを含め、誰も反対意見は出さなかった。それは要するにそうする方が良いと判断したが故に他ならない。

つまり全てを総合するとだ、興味は持てど文句らしい文句が挙がらなかった時点で暗にこの状況を誰もが認めているというわけである。

 

「ところで……先ほどから当の本人が見えないようだが、あの子と何かあったのか?」

 

「あ~、いえ、俺との間に特別何かがあったわけではないですね。ただ……」

 

「ただ?」

 

「その……朝方、俺の部屋を訪ねてきていたブルブランという方と遭遇しまして……」

 

「……ああ……なるほどな」

 

最早この事は周知の事実なのか、たったそれだけの言葉でレーヴェは心底理解したと言わんばかり溜息を一つ。

そしてそこから彼女が今も恭也の部屋にいるという可能性を導き出し、無言でそちらへと向き直って歩み出す。

そんな彼に恭也もまた少しばかり慌てた様に止めていた足を動かし、隣に並ぶ形となって共々、目的の部屋へと向かっていった。

 

 

 

 

 

共に歩み出してから数分。二人は程なくして目的の部屋へと到着し、その扉の前へと立つに至ったが。

その直後に扉の内側から聞こえてきたのは喧しい騒音。特にレンと思わしき声質の怒声が最も二人の耳によく響いた。

 

『ああもう! いいからさっさと出て行きなさいよ! ここはキョウヤの部屋であってアンタの部屋じゃないんだから!』

 

『ほう、そう来るか。だがレンくん、その理屈でいけば君もまた私と共に出て行かなければならなくなるのではないかな?』

 

『だから! レンはキョウヤの上司兼教育係なんだからいいのって何回言ったら分かるのよ!』

 

怒声に対するのは反して落ち着いた低めの声。それに関しても聞くだけで二人にとっては容易に誰なのかが分かった。

ただ人物は特定できても予想自体はしていなかった。早朝の一件から約一時間半……これだけ経てば、もういないと思っていたが故に。

しかし思っていた事とは裏腹に彼は未だ部屋に居た。しかも、早朝から始まった喧嘩をそれだけの時間が経った今でも続けている模様。

ここまでくるとしつこいという言葉を通り越し、よく飽きないものだと呆れの念を抱いてしまってもなんら不思議ではないだろう。

ところが室内から聞こえる二人の会話にそんな考えを抱く恭也とは違い、隣に立つレーヴェはまた違った反応を示した。

 

「驚いたな……あの子が、まさかここまで感情を剥き出しするとは」

 

「そうですか? 自分から見れば、むしろこういう感じでないときの方が珍しいんですが……」

 

「ふむ……という事はほぼ毎日こんな様子だという事なのか。確かに感情的な部分も少しはあったが、さすがにここまでというのはなかったんだがな」

 

そんな風にレーヴェは言うが、今しがた発言した通り恭也からすれば感情剥き出しでない方が想像できない。

もちろん珍しいと言うだけで全くないとまでは言わないが、それでも彼女の表情や態度からは大なり小なり感情が良く窺える。

それは笑ったり呆れたり、怒ったり戸惑ったりという普通の子供にあって当たり前とも言えるモノでしかないのだが。

今の発言を聞く限りだと以前はそれすらも無かったというように聞こえ、今しか知らない恭也は首を傾げざるを得なかった。

けれど彼のそんな様子を横目で見ても自身の口から語る気はないのか、何も答えぬままに扉へと手を掛け。

比較的静かに扉を開いて中へと入るのだが、一歩足を踏む入れた直後に二人同時に気付かれ、その視線を一身に浴びる事となった。

 

「――あれ、レーヴェ? 帰ってきてたの?」

 

「ああ、例の任務が一段落ついたからな。そういうレンは……見た限り、以前にも増して元気そうだな」

 

「そう? 自分では元気っぽさを出してる気なんて――って、そんな取り留めもない話はこの際いいわ。それよりもまず、レンはレーヴェの後ろに隠れるように立ってるお馬鹿さんに激しく文句を言いたい気分なのよ」

 

言いつつレーヴェの後ろへと向ける視線は若干睨むようなモノ。どうやら、言い合いの中でも置いて行かれた事への怒りは頭にあったらしい。

反対にそんな視線を向けられた側である恭也はと言えば、別に隠れているつもりはなかったのだろうが事が事だけに気まずそうな様子。

両者の間に流れるそんな空気からその場にいると巻き込まれると悟ったのか、スッと横へとずれる形でレーヴェは部屋の中へと移動した。

そして彼のその行動を合図としてか、最早今しがたまで言い合いをしていたブルブランも目に入らない様子でズカズカと彼の前へと進み。

直後に若干膨れっ面で文句を並べ立て始め、対する恭也は反論を返そうとする仕草は僅かなりと見せるが、結局は言わずに大人しく説教されるに甘んじる。

そんな二人を尻目に打って変って放置されたブルブランはと言えば、静かにその光景を眺めるレーヴェの横へといつの間にか歩み寄っていた。

 

「フフ……本当に変わったものだな、レンくんは。少し前までの態度がまるで夢か幻のようだ」

 

「……お前も、そう思うか?」

 

「思うとも。君はもちろん、私とて彼女とは仲良しと言わないまでもそこそこ接してきているのだから」

 

ただ以前と変わったとはいえ、会って早々いきなり飛び蹴りなど放ってくるとは思わなかったが。

口元に僅かな笑みを浮かべながら、そう続けるブルブラン。そしてそれにレーヴェもまた、薄くではあるが笑みを浮かべた。

もしもこの場にこの二人以外で彼女と多少なりと交流のあった者がいたとしたら、おそらく彼らと同じ反応を示すだろう。

寡黙でも無愛想でもなかったにしろ、レーヴェやヨシュア以外の前では浮かべる笑みの奥で確かな壁を作っていた少女。

一部はその壁を取り除こうとしたが、結局は誰もそれを成し得なかった。そこに事情を知るか知らないかというのはあまり関係ない。

どちらにしても容易にならないほど彼女の持つ心の傷というものは根が深く、生半可な手段では癒す事など不可能だと言えるのだ。

加えて元々下手な慣れ合いをするような場ではないという認識もあり、最終的にはそんな意識さえ誰も持つ事がなくなっていた。

その結果として彼女は結社に来た当初から大して変わる事もないまま、現状を保つという形で今まで過ごしてきた。

 

 

 

――だから、恭也という存在の出現がレンにここまで影響を与えると初めは誰も思わなかった。

 

 

 

以前までは出さなかった態度と表情、それはさながら普通の子供の様で。誰もがあれは本当にレンかと疑うほど。

無邪気さや好奇心旺盛な部分と言うのは以前から持っていたが、それでも子供らしい一面の多くを彼女は持たなかった。

特に甘えたり怒鳴ったりする事など以ての外。感情的になり易い部分はあれど、そういった行為は決してしなかった。

ソレを彼は意図してないにしろ引き出してみせたのだから、一目見た瞬間に現実を疑ってしまっても可笑しくはないだろう。

けれどどう疑ったとしても全てが変えようのない事実。以前よりも大きく変わった彼女こそが、それを示す確かな証明。

故に容易に彼女を変えた彼には嫉妬を覚える者もいないわけではなかったが、少なからず感謝にも近い感情を持つ者もいた。

レーヴェは当然、ルシオラもまた感謝という感情を彼に持っている。ブルブランやヴァルターにしても、それを成した彼に一目置いている。

そうして彼は意味合い様々なれど注目されていく。下に位置する兵士たちから、今回の実験に関わる『執行者』全てに至るまでに。

そしてそれが今後どんな意味を持ってくるのかを今は誰も知る術はない。だが例えそれを知ったとしても、以前に戻る事を最早誰も望まないだろう。

 

 

 

 

 

――レンの傍に恭也がいる……それこそが今、最も理想的な光景だと誰もが思うのだから。

 

 

 

 

 

 

あとがき

 

 

登場すると明言していた『執行者』はブルブランでした。

【咲】 まあ、多少予測はしてたけどね。にしても、やっぱりどう見ても変人よね。

うむ。ただ本文でも言ったが、人並みの常識とかは彼にもあるとは思うんだよね。

【咲】 なかったらそれこそ変人どころか変態じゃない。

あははは、確かにね。

【咲】 でも、この話ではレンとは相性が悪いのね。原作ではそうは見えなかったけど。

それはまあ……原作ではそこまで関わってないしな、この二人。

だからあくまで俺の予想と言うか、創作としてしか書きようがなかったというわけだ。

【咲】 ふぅん……ま、関わりが薄いって言えば彼に限らないんだけどね。

まあね。ほんと、『執行者』メインで書くと考えるのが一苦労だよ。

【咲】 でもそこが楽しくて書いてるんでしょ?

ま、それはそうだけどもね。ていうか、楽しさを欠いたら最早終わりだと俺は思うわけだが。

【咲】 確かにそれは言えるかもねぇ。ところで話は変わるけど、今回レーヴェも再登場したわよね。

したねぇ。もちろん、これには意味があるわけなんだが。

【咲】 そりゃまあ、意味なく登場させるのもどうなんだって話になるしね。

そして当然、その意味をここで話す事は――――!

【咲】 出来ないんでしょ? 今までがそうなんだから一々言わなくても分かってるわよ。

むぅ……それもそれでちょっと寂しいものがあるな。

【咲】 じゃあどうしろって言うのよ!

ぶばっ! い、いや、別にどうしろってわけではないんだが……。

【咲】 なら言うんじゃないわよ、全く!

ちょっとしたお茶目でなぜここまで怒られなければ――あ、いや、ナンデモナイデス。

【咲】 はぁ……で、次回がどんな話になるかっていうのはもう決まってるわけ?

うむ。次回はだな、前に言ってて未だやれてない事をしようかと思ってる。

【咲】 前に言った事、ねぇ……ああ、もしかしてアレの事かしら?

そのアレっていうのが何かは知らんが、まあたぶん間違ってはいないんじゃないかな。

【咲】 でも、アレをするって言うのは分かるけど、そこへどう繋げる気なのかしら?

それはまた次回のお楽しみにってね。

【咲】 そこも変わらずってわけね……それじゃ、今回はこの辺にしましょうか。

だな。それでは皆様、また次回お会いしましょう!!

【咲】 それじゃあね、バイバ~イ♪

 

 

 

 

 

 

 

 

感想は掲示板かメールにて。

 

 

 

 

 

 

 

 

戻る。